Story.03幸せに生き、そして死ぬとは
どういうことなのか?

大切な人の死に触れ、自己探求の旅が始まる

信念を揺るがされた
大きな波紋

互いに刺激し勇気づけあう友人の余命宣告

大企業でのキャリア、転職、経営、起業(複業)を経験してきて、自分のやりたいことをキャリアで実現できている、自分の人生を自ら歩んでいける自信も持てている。
毎日が楽しいし、イキイキと過ごせている。

そうした日々を過ごしていた36歳の夏に、自分の人生に大きな波紋を投げかける出来事があった。

自分と同じように充実したキャリアを歩んでいた同い年の親しい友人が、余命宣告を受ける病気となり、亡くなる数日前に見舞いに行くことができた。

この友人は、私と同じように会社で毎日楽しく活躍していて可能性を拡げつづけ、複業も順調にしていて、やりたいように働き、イキイキと日々過ごしていた。 同じことを大切に、そして体現していて、互いが互いを刺激し合う、勇気づけしあう大切な存在だった。

「いつの日か」はもうやって来ない

まさかその友人が、癌によってもう残り少ない命だとは本人も気づくことなく。
病院について、病室に入ったとき、いつもキラキラとした笑顔で活力溢れていた友人の姿はそこにはなかった。失意の表情で、友人はそっと私に語りかけた。

「頑張って働いてきたけど、なぜ自分は本当に時間を使いたかったことに使おうとしなかったんだ。。。」
「今はキャリアを充実させながら可能性を拡げて、そしていつか家族との時間をたくさん作ろうと思ったけど、なぜその時間を後回しにしてしまったんだ。。。」
「なぜ"いつか"って思ってしまったんだ。もうその"いつか"は俺にはないのに。。。」

そう言って、悔しい表情で、無念の想いに苦しみながら涙を流す友人。あんなにイキイキと働いていたのに、後悔の念に押しつぶされ、これまでのことを否定している友人。「働くことは生き方そのものだ」と信じていたが、その「働く」が友人をこれほどまでに苦しめている。

それは私がこれまで大切にしてきて、積み上げてきたものを揺るがすものであった。

「働く」を超えた
幸せに生きることとは?

幸せに生きて、死ぬとは?

「働く」だけではダメだ。
「幸せに生きて死ぬとは?」。そこに向き合わないといけない。友人の無念をそのままにしてはならない。

今自分が死んだとしたら、本当に自分の一度きりの人生を生ききったと言えるだろうか?

本当に大切にしていることを、今は○○しなければならないからって後回しにしていないだろうか?

人はいつ死ぬか分からない。そんなことは、今まで色んな死に実際に触れてきた自分が一番よくわかっていることではないか。

父親との別れ

自分の父親のこともそうだ。 15歳のとき、3日間風邪をひいたくらいの体調の悪さで、3日目の夜、「早めに寝るわ」と眠りについた父親は、そのまま起きることはなかった。

深夜の2時くらいに家の中が騒がしいことに気づいて起き、家族はバタバタしていて家の前に救急車がきており、父親は救急車の中に入れられたところが自分が見た最後の姿であった。

それから1時間後、電話で「脳卒中で亡くなったから、すぐに親戚などにも連絡して、家の掃除もして葬式の準備を」という連絡を受け、何が何だか分からないまま葬儀の準備へ。

半日経って、白装束に包まれ、二度と目がさめることのない父親が帰宅した。 何もかもがあっという間の出来事で、15歳のこのときに「死」は決して遠いものではなく、身近なものなのだと実感していた。

探求の旅が始まる

だからこそ、大切な友人の死は、「働く」を超えて「幸せに生きることとは?」を考えることになり、それを見出すための探求の旅が始まった。

死生観について考えたり、いろんなワークショップや講座に出て内省したり、様々な心理学や理論に触れたり、色んな地域にでかけて自然などに接する機会を設けたり。

そうした探求の旅を続けているなかで、37歳の夏に人生の中で最も大きな変容に向き合うことになる。

あなたにとって、幸せに死ぬとは?